しなければならない 子どもたちは日常の生活の中で、色々な「しなければならないこと」に縛られています。学校ではクラスのどんな子とも仲の良い友達でいなければならない、授業中は他の子のことを考えて自分の主張を我慢しなければならない、親の前では褒められるいい子でいなければならない、勉強はどれだけ頑張っても頑張り続けなければならない、良い会社に入るために良い学校に行かなければならない。立ち止まって考えてみると、おそらく色々な「しなければならないこと」が思い浮かぶのではないかと思います。
作家の佐藤優氏が連載記事の中で、「日本は、同質化の傾向が強い世界です。足の引っ張り合い、ヤキモチが強い文化ですが、別の言葉で言うと、ある水準より落ちるということを嫌がる社会なのです。」とおっしゃっていました。このことは、「しなければならない」論と強い関係があります。同質化の文化の中では、人は自分が我慢しているのだから、我慢していない人はおかしいと考えはじめます。そして、我慢していない人は多数から外れた人を多数派の正義の下で批判し始めます。同質であることがよいとする人は、批判されることを恐れて、みんなと同じに「しなければならない」論がいつの間にかできてしまい、それを子どもたちにも押しつけてしまう。この水準でやっていなければ、ダメなんだという考え方ができるわけです。
インターネットにより多様な情報に触れることが可能になり、若い世代の人の方がこの同質性の異常さに気づき始めています。人はどんどんと個の主張をはじめ、自分の人生を送ろうとしています。昨年度の文部科学省による調査で、中学校では約12万人、割合にして全生徒の3.6%が不登校(年間に30日以上欠席している)と発表されました。つまり、クラス30人に1人は、不登校の子がいることになります。このことも、みんなが同質であることへの反発なのではないでしょうか。
大切なことは、子どもたちに自分の人生を自分で決めて歩ませることです。そのためのサポートを、「しなければならない」論を一度やめて考えてみる。私たちは、このようなに価値観が変わっていく時代の中で生きているのはないでしょうか。
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