話を聞きなさいって言っていませんか? 今回は、私の反省を述べたいと思います。昔の生徒が読んだら、笑われてしまいそうな内容です。でも、自分も成長していこうと思い共有させていただきます。
教員をやっているとき、授業中に集中していない生徒がいると、「話を聞きなさい」や「集中しなさい」と言ってしまうことが多々ありました。しかし、これは非常に教員主体の身勝手な話なのです。なぜならば、子どもたちが話を聞かないのは、教員の話していることが面白くないからです。面白い話ならば、教員が注意をせずとも、子どもたちは自然と集中して話を聞くはずです。つまり、教員側が学ぶ内容について子どもたちの興味を引くことができるような提示を出来てなかったり、その教員が子どもたちにとって自身を成長させてくれるに値する人と認識されていなかったりといった、教員側の落ち度が理由である場合が多いのです。
それを注意して聞かせるなんて、教員の怠慢ですし、注意されてやる子どもの行動に心はこもりません。ただ、形だけをとりつくろった、心のない行動です。
これはきっと日常の声かけでも同じです。声かけが子どもに届かない場合、そのやり方を変えていくしかありません。そして、そこには一般的な正解はなく、その場その場での最適解を見つけていくことになります。
私は「自分が子どものころ言われたら嫌になること」は言わないようにしています。大人のこうなってほしいという思いを、子どもに強制することはやめるように意識しています。もちろん、子どもたちを心配してアドバイスはしますが、アドバイスに従わせるよりも、子どもたちが自分の人生を選択しているという実感を持たせることが大切だと考えています。
人生100年、生きていれば何とかなる。無責任かもしれませんが、責任を感じすぎてしまうと、自分の思うようにその子をコントロールしてしまいたくなります。そうなったら、その子の本心には寄り添うことはできません。そうやって、その子のありのままが見えなくなるよりも、無責任と思われようが、心がつながっているほうがよいのではないかと思うわけです。
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